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 ( Type Is Beautiful )
活字書体とは何か
●「書写」と「書道」

「書写」と「書道」ということばがあります。小学校の「書写」は国語科にふくまれています。その目標を大胆に集約すれば、このようになるでしょう。この目標は活字書体設計にも共通するようです。
  (ア) 文字を正しく書くこと。
  (イ) 文字の形を整えて書くこと。
  (ウ) 読みやすく書くこと。
 中学校でも国語科にふくまれています。小学校では楷書だけでしたが、中学校では行書が加わります。また、漢字とひらがな・カタカナの調和がもとめられています。目的や必要に応じて調和よく書くこと、読みやすく速く書くことがあげられています。つまり小学校と中学校では「書写」であって「書道」ではありません。
 高校になると、芸術科のなかに「書道」としてふくまれることになります。「書道」となると、国語科の「書写」とはまったく異なる目標があげられています。
  〔書道1〕 書道の幅広い活動を通して、書を愛好する心情を育てるとともに、感性を豊かにし、
        書写能力を高め、表現と鑑賞の基礎的な能力を伸ばす。
  〔書道2〕 書道の創造的な諸活動を通して、書を愛好する心情を育てるとともに、感性を高め、
        書の文化や伝統についての理解を深め、個性豊かな表現と鑑賞の能力を伸ばす。
  〔書道3〕 書道の創造的な諸活動を通して、生涯にわたり書を愛好する心情と書の文化や
        伝統を尊重する態度を育てるとともに、感性を磨き、個性豊かな書の能力を高める。
 書写も書道も活字書体設計とは関連していますが、活字書体設計の基礎を考えるうえでは、書写についての目標から、さらに深めていく必要があるように感じます。

●文章を複製する

 現在のような印刷が無かった時代には、読みたい本がれば、それを借りて一字一字丁寧に書き写さなければなりませんでした。とても根気のいる作業です。今では何冊も書き写すということは考えられないけど、当時においては当然のことだったのです。これは中国でもヨーロッパでも同じことでした。
 書き写すのは文章だけではありませんでした。中国では、その書風までも複製しようという工夫がありました。臨書〔りんしょ〕、嚮搨〔きょうとう〕、双鉤填墨〔そうこうてんぼく〕などの方法が考えられました。
 臨書とは原本を見て書くことです。上達のために手本を写し取る方法で、これには三つの修業段階があるそうです。形を写し取る「形臨」、手本の心まで写し取る「意臨」、手本を見ずに書く「背臨」という段階です。嚮搨とは原本を敷き写しにすることです。薄紙を上に当てて敷き写しにする複写技術で、どうしても写した人の筆癖があらわれるために原本とはちがった印象になってしまいます。
 もっとも忠実に原本を複製するのが、双鉤填墨という方法だよ。双鉤とは文字の上に薄紙を置いて輪郭だけを線で写し取ることで、写した文字の輪郭の内側を墨で塗り同じような文字をつくることを双鉤填墨といいます。双鉤填墨法は書道関係者においては批判的にとらえられていますが、碑刻や板刻において輪郭を描くことによる書風の再現につながっています。この技法の応用によって、アウトラインは合理化され、文字は公共性を持ち、可読性や判別性が高められたのです。

●木版印刷

 いちいち書き写すというのもたいへんです。そこで文章全部を版木に彫って印刷しようということになったわけです。木版印刷ということです。直接墨を版木につけて馬簾で摺るので鏡文字で彫らなければなりません。
 木版印刷では、まず絵師が薄手の紙に文字や絵を墨で仕上げ、これを版下とします。つぎに、版下を版木(桜、楓、梨、朴、黄楊、梓を板状にしたもの)の上にのせて、薄い糊で貼りつけるのか。版下の文字や絵は、当然裏返しになっています。つぎは彫師の出番です。彫刻には、板木刀、三角刀、丸鑿、平鑿の四種がもちいられるそうです。彫り上げてから、残っている版下の紙を洗い落とし、さらにきれいに彫刻刀でさらいをします。摺師は、墨がにじまないように礬水引きした紙を、版木の上に貼りつけ、紙の背を馬楝で丹念にこすります。つづいて、丁合どり、化粧裁ちをおこない、表紙がけをして製本(綴じ)します。
 量産は比較的容易になりましたが、版木を彫って作るのもたいへんなことです。毛筆に忠実に彫っていたのでは時間がかかるし、分業もできません。中国の宋の時代では、彫りやすく読みやすいように字様が工夫されていったのです。
 石版画、銅版画、孔版画なども美術の分野のように思えますが、おなじ方法で文章を書き記すこともできます。つまりは石版印刷、銅版印刷、孔版印刷です。

●活字とは

 書物のように長い文章ともなると、同じ文字が出てきます。だれでも前に彫ったものを利用できないかと考えるでしょう。それで、一字一字ばらばらにして組み合わせるようにしました。その一本が活字です。活字を並べて、版を組むことを活字版といいます。
 活字はタイプ(type)、活字書体はタイプフェイス(typeface)です。活字とは、鉛・アンチモン・錫の合金製のものいうのが一般的ですが、そればかりではなく、木活字(wooden type)・金属活字(metal type)・写真活字(photo type)・電子活字(digital type)などがあります。中国では泥活字や磁活字なんていうのもあったそうです。
 活版印刷は活字版印刷の略語です。金属活字であろうが写真活字であろうが、凸版印刷であろうがオフセット印刷であろうが、活字を使うものであればすべて活字版印刷です。活字版のことを聚珍版ともいっています。中国・清朝で四庫全書の善本を活字版にするとき乾隆帝からこの名を賜ったそうです。
ところで写真活字とは耳慣れないですが、写真植字を英語でいうとphototypesettingで、写真植字機は phototypesetterになります。typesettingを活字組版と訳せば、phototypesettingは写真活字組版ということになるのです。金属活字のモノタイプ(自動鋳造植字機)にも相当しているし、現代のパーソナル・コンピューターも一面では活字組版機ともいえるのです。
  しょく‐じ【植字】
  活版印刷で、拾った活字を、原稿に指定してある体裁に並べて組むこと。

●活字書体

 活字書体は、どんな文章でも組めるように、すべての文字をあらかじめデザインしています。いわゆる「レタリング」とはこの点が異なっています。
 活字の書体って、昔からあるものとか、機械が作りだすものとかと思っているひとがいるかもしれませんが、じつは人の手によって創られているのです。いまのデジタルの時代になっても変わりません。
 写本はそもそも書写されたものだから個人個人の筆跡というものがあり、身体性がからんでいます。刊本では書写されたものを彫刻することで様式化されるので、身体性はある程度封じ込められているということです。それは活字書体として規格化されることになります。単純化、合理化と言い換えてもいいでしょう。
 活字書体というのは、書写からダイレクトに転換するということではなくて、いったんは彫刻の工程を経なければなりません。活字書体にするには彫刻という工程を経なければならないのです。書写から彫刻への転換によって様式化されます。さらに活字書体として合理化され、判別性や可読性がたかめられることになるのです。
 判別性というのは、他の文字との差異が見分けやすいかということです。書写のままだと、こういう見間違いが多くなりやすいのです。可読性とは読みやすさということです。文章になったときに視覚への負担が少ないかどうかということです。だから読むときにストレスを感じないように、大きさや太さを揃えたりします。
 活字書体ではそれがいちばん大切ですが、デザインそのものも特に見出し用書体では大切なことです。誘目性すなわち目に付きやすいかどうかということです。判別性、可読性、誘目性とは書体選択のための三要素といわれますが、書体設計においてもどこにポイントを置くかが大切なことなのです。

●字体

「書体」と「字体」の区別もなやましいところです。字体とは、『大辞泉』にはつぎのように書かれています。

  じ‐たい【字体】
  1 一点一画の組み合わせからなる文字の形。定型化された点画の組み合わせ。一つの字でも、字画数の違いによって、正字・
   俗字・新字・旧字などと区別する。
  2 「書体(1)」に同じ。

 字体は1の意味で使ったほうがいいようです。とはいえ、字体と書体とには深い関連あります。書体の変遷とともに、字体も筆順も異なっているのです。篆書体を真書体の字体で書くことはできませんし、近代明朝体を書写の真書体の字体で書くことには違和感があります。

●フォント

 活字書体のことをよくフォントといっているひとがいます。書物では活字、コンピューターではフォントと思っているひとが多いようです。おなじく『大辞泉』で調べてみると、ちゃんと書いてあります。

  フォント【font】
  活字で、同一の書体・大きさの、大文字・小文字・数字・記号などの一揃い。

 もともとはIBM社のタイプライターの活字記憶媒体の商品名だったそうですから、活字記憶媒体という意味でもまちがいではなさそうですが、活字書体のことではないということは確かです。

 図:フォント

●金属活字

 金属活字による印刷のためには、広い文選場が必要です。なにしろ大量の活字を用意しておかなくてはいけないのです。たとえば、本文に五号明朝活字をつかおうとすれば、一万字近い種類の活字を、整理して並べていかなければならないことになります。しかも、頻繁に出てくる文字は何一〇本も必要になってくるから、ひとつの書体のひとつのサイズだけでもそうとうな量になるでしょう。
 五号明朝活字だけでは足りません。見出し用に五号ゴシック活字もいるでしょうし、せめて二号明朝活字もあればと思うでしょう。それだけで三倍のスペースになってしまいます。見出し用の書体では、それほど多くの字種を揃えておくことはなかったでしょうけど、サイズが大きくなります。文選場には多くの活字箱が立体的に並べられています。活字箱は部首ごとに分類されており、区分けされて見出しがつけられています。活字はその見出しの下に入っているのです。
 そこから、原稿に合わせて活字を拾います。文選箱とよぶ小さな容器に集め並べるのです。それを仕事とする人を文選工といいます。専門の文選工ならば千三百字以上も拾ったそうです。熟練の文選工は、頻繁に使われる字種はひとつの箱に入れており、経験でどの箱の何番目にあるということを記憶しているから、最短の移動で文選できました。
 文選箱は植字場にまわされます。 文選箱に入れられた活字とクワタ(quadrat)やインテル(inter lead)、罫線などと組み合わせて、原稿に指定してある体裁に並べて組むわけです。植字工は左手にステッキ(stick)というものをもって、そこに文選箱の中の活字を、田植えをするように並べていくのです。一行植え終われば、行の長さだけのインテル(inter lead)を行間にいれ、次の行をまた組んでいきます。植字が終わると組ゲラ(galley)という板の上に移して、麻糸で周囲を堅く縛れば完成です。
 ゲラには組ゲラのほかに、保存用の置きゲラというのもあります。でも、普通は紙型をとるのです。紙型とは組版された原型に特殊な紙をあて、押圧して作った鋳型のことです。これに溶融した鉛を流し込み、鉛版を鋳造します。紙型は重量も軽く、保存も容易ですし、必要に応じて鉛版を作ればいつでも再版が可能なのです。
 もとの活字版はいったん洗浄してから解版する。それから一字一字をもとの活字箱にもどして、つぎの印刷の文選に間に合うようにするのです。解版工も慣れているから、それほど手間はかからないそうだ。摩耗してもう使えなくなった金属活字は溶融して地金にもどして、新しい金属活字へと再利用されます。
 金属活字は消滅していくのが世の趨勢かもしれません。金属活字は消えようとも、活字書体は電子活字として生き延びることができるのです。金属活字、写真活字、電子活字と、活字書体を収容する媒体の方式や構造は時代とともに変化していきますが、よい活字書体の寿命の長いものなのです。

●写真植字機用文字盤(写研の場合)

 写真植字機(phototypesetter)にもちいる写真活字(photo type)とは、一般的には「文字盤」といいます。文字を焼き付けたガラス板にカバー・ガラスを貼りあわせたものです。文字盤の軽量化のために保護膜をコーティングする方法もあったようです。
 写真植字機本体に文字盤を固定する方法としては、1957年(昭和32)に発表されたSK-3R型という機種では一フォントごとに交換できる「中枠固定方式」が開発されました。またスピカ-Sからは「ピン方式」が採用され、さらに簡単に交換できるうえに精度も高まりました。
 文字盤には「メイン・プレート」と「サブ・プレート」がありました。スピカ-Sでは、それまでの269字を収録した小型文字盤の集合方式にかわって、2862字が収録できる一枚文字盤が開発されました。これを「メイン・プレート」といい、従来の小型文字盤を「サブ・プレート」というようになったのです。1969年(昭和44)に発表されたパボ-Jでは7Qから100Qまでのレンズが搭載され、欧文自動字幅規定装置もついたのです。
 1965年(昭和40)に発表された自動写植機のサプトン-Nでは、円形の文字盤のです。入力は鑽孔テープでおこない、これをサプトン-Nにかけて高速に出力するというものです。つまり自動写植機はアナログの文字盤でした。
 写植文字盤は終焉を迎えました。活字書体は、記憶媒体が変わるごとにリデザインしなければなりません。そうすることによって、これらの書体は現在のデジタル・タイプとして生き続けられるのです。

 図:文字盤

●デジタル・タイプ(写研の場合)

 電算写植機とはおもには光学(アナログ)式のことをいいます。光学式とは電子信号化する文字のマスターに文字盤をもちいる機種です。デジタル式になったものは電子植字機といいますが、デジタル式とは磁気記憶媒体に収録されたデジタル・タイプをもちいる機種のことです。写研では1977年(昭和52)に発表されたサプトロン-APS5がデジタル式の最初です。
 サプトロン-APS5はデジタル・タイプ(電子活字)ですが、一文字を碁盤の目に切って点の集まりとしてあらわし、一ドット(メッシュ)を白黒の二値で表現した、ビットマップ方式だったのです。コンピューターのモニターも、プリンターの印刷も、最終的には点の集まりで表現するわけです。そこで文字の元データも点の集まりとして定義するのがこの方式です。フル・ドットで記憶再生させるフル・ドット(低画素)と、データを圧縮記憶させ出力時に復元再生させるラン・レングス(高画素)がありました。複雑な演算を経ないビットマップ方式は高速に表示できますが、拡大・縮小するとカタチが崩れてしまいます。分解を細かくするとデータ量が膨大になります。画素数が少ない(低画素)場合はフル・ドットで記憶させますが、画素数が多く(高画素)なるとデータを大幅に圧縮記憶させる方法を取っています。
 ビットマップ方式では、とくに拡大サイズでは使えません。そこでベクトル・アウトライン方式が考え出されました。これは一文字の輪郭線(アウトライン)を直線(ベクトル)で近似させるものです。しかし、この方式は欧字ならばいいのですが、漢字のように複雑な文字体系だとデータ量が増えてしまいます。そこで輪郭線を多次曲線(スプライン、ベジェ、コニック、円弧など)で記憶させ、出力時に輪郭線の内側を塗りつぶして再現する曲線アウトライン方式が実用化されました。
 曲線アウトライン方式による日本語書体としては、1983年(昭和58)に写研が発表したCフォントが最初でした。実際に採用されたのは、1985年(昭和60)発表のサプトロン‐ジミィやサイバート‐Hなどからです。
 当初は磁気記憶媒体(8インチ、5インチ、3.5インチのフロッピー・ディスクなど)でしたが、1985年(昭和60)には写研がマサラ‐P用に、世界で初めて複数の日本語書体を一枚のコンパクト光ディスク(CD)に収録し商品化したそうです。

 図:フロッピー・ディスク