ふでづかい
この活字書体の最大の特徴は、江戸時代の木版本とはまた別の武骨さにあります。湯川梧窓の版下に加えて、活字彫刻者の技術によるものだろうと思われますが、これが独特のイメージを醸し出しています。かなりシャープな「うちこみ」をもっています。漢字書体の行書体との組み合わせの中からうまれた書体だからということでしょうか。

まとめかた
もともとは漢字書体の行書体があって、それにあわせて和字書体も作成したものですので、一字ずつが孤立した組み立てになっています。字型でみると、その差は大きいほうです。「な」「ま」でも縦長方形、「ぬ」「わ」でも横長方形にちかいようです。

ならびかた
『富多無可思』に掲載されたもの以外の資料がないので、特に記すことはありません。

湯川梧窓(1856-1924)
大阪生まれ。幼時から書を学び、張旭(生没年不詳)、黄庭堅(1045-1105)、その他の古法帖によって研究して一家をなした。張旭、黄庭堅ともに草書を得意としていた。書家としての湯川梧窓は、村田海石(1835-1912)と並び称されたそうです。湯川梧窓の著書には『四体千字文』(大阪・青木嵩山堂、1895
)、『普通作文』(大阪・大岡万盛堂、1895)などがある。

大阪の岡島活版所において製造されていた南海堂行書体活字は、1903年(明治36年)に岡島氏の急逝により岡島活版所が廃業するに際して中止となっていました。それを青山進行堂活版製造所が継承したのです。青山進行堂活版製造所では、さらに湯川梧窓の版下による南海堂隷書体、南海堂草書体を増加しています。
 書家の湯川梧窓(号南海堂)が版下を制作した南海堂行書体活字には、二号から五号までの各シリーズがありますが、いずれも豪快でスケールの大きな筆致です。なかでも三号活字がもっとも整っているように思えます。
 原資料としたのは、『富多無可思』(1909年、青山進行堂活版製造所)の90ページに掲載されている参號行書活字のカタカナおよびひらがなです。


■組み見本

カタカナの「ヰ」も字体を変更しました。「メ」「オ」「ケ」「テ」など少し個性的なキャラクラーであっても、オリジナルを尊重しながら修整していくことにしました。大きさ、太さなども基本的にはオリジナルのままとしました。

漢字書体は、
 左:金陵
 中:龍爪
 右:志安

準備中

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

すべての字種がそろっており、他の資料を参考にする必要はありませんでした。
 ひらがなの「も」は字体を変更しました。「め」「ち」「ろ」はやや扁平だと感じましたので少し縦長に、「け」「ら」「ふ」「う」は直立にみえるように、「せ」は運筆が明瞭になるように、それぞれ修整をしました。