●ふでづかい
嵯峨本『伊勢物語』のふでづかいは、奈良絵本『さよひめ』ほどではありませんが、『ぎや・ど・ぺかどる』よりは奔放な感じがする。連綿を意識してのびやかであり、ボディの束縛は感じられません。揮毫したのちに活字として作成されたからではないかと思われます。いわゆる連続活字は二倍角、三倍角になっていますが、それも作為的だとは思えません。やはり自由に揮毫したものを、そのまま活字格にあてはめたのではないでしょうか。
●まとめかた
のびやかな組み立てで、字型(外形による分類)でかんがえても、「り」はより縦長に、「つ」はより横長になっています。活字書体でありながら、書写にちかい組み立てとなっています。
●ならびかた
連続活字などで二倍角、三倍角の活字があります。連続活字が多用されているので、みためはプロポーショナルに感じられます。
本阿弥光悦(1558-1637)
桃山時代から江戸初期の芸術家。京都の人。号、太虚庵・自得斎など。刀剣鑑定の名家である本阿弥家の分家に生まれたが、書や陶芸などにもすぐれ、1615年(元和元)には徳川家康より京都・洛北の鷹峯〔たかがみね〕の地を賜り、芸術村を営む。書は「寛永の三筆」の一人といわれている。京都の嵯峨で角倉素庵〔すみのくらそあん〕によって慶長・元和(5596-1624)にかけて刊行された嵯峨本は、本阿弥光悦の書風をよくあらわす木活字をもちいて、用紙・装丁に豪華な意匠を施した美本である。『伊勢物語』など13点が現存している。
原資料は『伊勢物語 慶長一三年刊 嵯峨本第一種』(1981年、和泉書院)という影印本です。原本は国立公文書館内閣文庫に所蔵されています。
角倉素庵(1571−1632)による嵯峨本の出版は、従来の漢文の書籍に対して、古典文学の出版の道を開き、また冊子に純粋な日本画を挿入する様式を決定するなどの、江戸時代の出版文化の隆盛に画期的な役割をはたしたそうです。雲母模様を摺った料紙を使用するなどの豪華な装幀が特徴です。この嵯峨本『伊勢物語』に使われた木活字の書体は、光悦本人の版下なのかは不明ですが、本阿弥光悦の書風をよくあらわしているそうです。
この嵯峨本を「和字書体三十六景」からはずすわけにはいきません。ただ、この書物をそっくりそのまま「再現」するのではなく、現代の活字書体としての適性を考慮した「再生」になるように心がけました。
なお、嵯峨本の『伊勢物語』の活字についての研究報告として、『近世文藝八四号』(2006年、日本近世文学会)所収の、鈴木広光氏論文「嵯峨本『伊勢物語』の活字と組版」があります。
■組み見本
漢字書体は、
左:金陵
中:龍爪
右:志安
『厭魅(まじもの)の如き憑くもの』
(三津田信三著、講談社・講談社文庫、2009年)
嵯峨本『伊勢物語』の影印本のなかから、単体の文字をサンプリングしました。原資料は、かなり細い線条で書かれていたので、本文としても使用できるように全体的に太くしました。また大きさもかなりばらついていたので、大幅に調節し、活字書体としての修整をほどこすことにしました。
「り」「る」はなかったので、全体の雰囲気に合わせて新たに書きおこしました。また「そ」は左に、「む」「み」は右に傾いてみえるので、まっすぐにみえるように文字の姿勢をただしました。木活字なので、同じ文字でも複数の活字が存在しています。現在では違和感がある結構だと思われる「な」「あ」「ゑ」は、サンプルとして抽出しなかったものも参考にしながら修整していきました。
「く」「れ」「さ」「な」などのように脈絡が長く残っている文字があります。判別性を損なうおそれがありますので、脈絡はできるだけ短くし、気脈で通じるようにしました。
『首無(くびなし)の如き祟るもの』
(三津田信三著、講談社・講談社文庫、2010年)
『山魔(やまんま)の如き嗤うもの』
(三津田信三著、講談社・講談社文庫、2011年)
『秘められた生(フィクションの楽しみ)』
(パスカル・キニャール著、小川美登里訳、水声社、2013年)