ふでづかい
浄瑠璃文字はくねくね曲げる筆運びです。文字と文字を密着されてかなり窮屈な浄瑠璃文字ですが、切り離してみると意外と読みやすく感じられます。ところどころに、かけ声が片仮名で入っています。三味線が加わり義太夫で語るのですから、このリズム的な書き方は楽譜のような役割を果たすのかもしれません。

まとめかた
文字と文字を密着させているのが特徴です。平安時代の流麗な和字書体とはことなり、ころころと丸い組み立てですが、独特のうねりはあるものの明治時代の明朝体漢字と組みあわせた和字書体に通じるものがあるようにも感じられます。文字の大きさは著しくばらついており、なかには扁平になったり、前後にくる文字の関係からゆがめられているものもあります。

ならびかた
活字として考えると、文字と文字が重なるぐらいのタイト・スぺーシングです。写植全盛期の極端なツメ組を思い起こさせます。行間もひろくはありませんが、字間が極端にせまいので、読みやすさは保たれているようです。

 

 

近松門左衛門(1653−1724)
江戸中期の浄瑠璃・歌舞伎作者。越前の人で、本名は杉森信盛。坂田藤十郎のために脚本を書き、その名演技と相まって上方歌舞伎の全盛を招いた。また、竹本義太夫のために時代物・世話物の浄瑠璃を書き、義太夫節の確立に協力した。代表作「国性爺合戦」「曾根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」など。墓は、菩提寺である尼崎市の日蓮宗広済寺と、妻の実家の菩提寺であった大阪市の日蓮宗法妙寺跡の両方にある。

原資料は『影印本 曾根崎心中』(森修編、新典社、1969年)です。「曽根崎心中」は、もともとは浄瑠璃の世話物一段三巻です。「世話」とは「世間の話」という意味です。近松門左衛門による世話物の第一作で、このあと庶民を主人公にした心中物・不義物・処刑物などを「世話浄瑠璃」と呼ぶようになった画期的な作品です。
 曾根崎天神で起きたお初と徳兵衛との情死事件を扱ったものです。当時は心中や殺人事件が起こると、すぐさま歌舞伎に仕立てられて舞台にかけられました。こうしたことは浄瑠璃ではなかったようですが、歌舞伎が心中劇を上演して盛況なので、経営不振で悩んでいた大阪の人形浄瑠璃の竹本座が、ちょうど京から大阪に来合わせていた近松に「曽根崎での心中を浄瑠璃にしてくれ」と頼みました。こうして、竹本座で初めての心中物として「曽根崎心中」の興行が始まるとたちまちものすごい人気を呼びました。経営不振に陥っていた竹本座は、これ一作で立ち直ったそうです。


■組み見本

カタカナは、ところどころに入っている掛け声の数文字しかありませんでした。そこで、このイメージを生かしつつ新しく書き起こしていきました。平仮名にくらべるとシンプルな結構ですので、少しうねりのある筆法にして調和させました。

漢字書体は、
 左:金陵
 中:龍爪
 右:志安

箱書で学ぶくずし字の基礎 茶会・稽古で迷わないコツ (橘倫子著、淡交社、1913年8月)

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

全ページを対象に、和字のキャラクターを抜きだすことから始めました。文字と文字がかなり接近していますので、できるだけ単体のものを抜き出すことにしました。
 「ね」「ほ」「み」「わ」の4文字は見当たりませんでした。そこで、別の整版本などからイメージの近いものを合わせました。
 文字の大きさは著しくばらついており、なかには扁平になったり、前後にくる文字の関係からゆがめられているものもありました。書風が失われないように留意しながら慎重に統一していきました。
 文字と文字が密着している浄瑠璃文字ですが、切り離してみると意外と読みやすく感じられました。独特のうねりはあるものの明治時代の明朝体漢字と組みあわせた和字書体に通じるものがあると思います。
 それでも現在の明朝体和字に慣れた目には違和感があると思われる「も」は、自然に感じられるように変更しました。そのほかのキャラクターは、うねりを残しながらストロークをなめらかにしていきました。