●ふでづかい
もともと五号宋朝体に組みあわされることを想定した和字書体ですが、漢字書体のイメージを意識しすぎたためか、それにも増して「うちこみ」が長く強く、刺激的でもあります。「はね」「おさえ」などは「うちこみ」のほどではありませんが、それでも少しは強調されています。横に送る筆遣いは右上がりが強く、より直線的で淡泊です。
●まとめかた
本来は静的で落ち着いた佇まいが感じられるようですが、不ぞろいやゆがみなどの欠陥だけが目に飛び込んできます。仕上がりが少し粗削りなためか、特徴がわかりにくい状態になっています。
●ならびかた
ベタ組みを基本に設計しています。
津田伊三郎(1869-1942)
尾張国丹羽郡和勝村(現在の愛知県江南市)でうまれた。32歳のときにアメリカに渡航して、サンフランシスコとシアトルで印刷と活字を学んだ。
帰国後の1909年(明治42年)に名古屋において、活字販売業の「津田三省堂」を創業し、関東大地震後に活字鋳造業に転じた。
屋号の「三省」とは、中国の古典『論語』の「学而篇」の一節「吾日三省吾身」(われ日にわが身を三省す)という言葉から採られたものである。これは「不忠、不信、不習について、日に幾度となくわが身を省みる」という意味である。
原資料は『本邦活版開拓者の苦心』(津田伊三郎編、津田三省堂、1934年)の「自序」で使用されている五号活字です。
津田伊三郎は1913年以降、当時話題になりつつあった「宋朝体」と「正楷書体」をもとめて、中国に旅をかさねています。1932年に発売された五号宋朝体は、上海・中華書局の「聚珍倣宋版活字」を導入したもので、この書体は一世を風靡し、津田三省堂の代名詞となりました。和字書体は津田三省堂で新刻したと思われますが、彫刻の趣の残った書体です。
『本邦活版開拓者の苦心』は私家版として発行されたものでした。ここには本木昌造にはじまり、35名におよぶ開拓者の苦心が記載されています。
■組み見本
カタカナは「グ・デ・ベ・ル・ン」だけしかありませんでした。そこで他の資料や、五号以外のタイプ・サイズの見本も参考にしました。
漢字書体は、
左:宝玉
中:聚珍
右:武英
準備中
ひらがなには、「え・つ・む・ほ・ゆ・わ・ゑ」の七字はありませんでした。そこで他の資料や、五号以外のタイプ・サイズの見本も参考にしました。
復刻にあたっては、原本の欠陥とおもわれる「うちこみ」の誇張、右上がりの角度をおさえました。さらに欠陥と思われる不ぞろいを調整し、ゆがみを是正しました。その上で原資料の書体の特徴をなくさないよう注意しながら復刻しました。