ふでづかい
 ゴシック体も最初は斜目ヤスリを用いてフリーハンドで書いていましたが、沿溝書体は、方眼ヤスリを使用して線を溝に沿うように引いていくようにしたものです。そのため。水平垂直を意識したふでづかいになっています。

まとめかた
 原紙のガイドラインを意識して描かれる沿溝書体では、字型(円形・菱形・逆三角形・正方形・縦長方形・横長方形)の差が少なく、すべてのキャラクターが、正方形に近くなるように描かれています。

ならびかた
草間京平の筆耕による『沿溝書体スタイルブック』所収の「孔貌雑話」を参考に、活字組み版を想定して、ベタ組みを基本に設計しています。

草間京平(1902-1971)
本名は佐川義高。郵便配達員、出版社の校正係、建築現場の作業員などさまざまな職業につく1923年(大正12年)に芸術倶楽部35号室に「黒船工房」の表札を掲げて、宮城三郎とともに謄写版印刷を本格的にはじめる。
 1949年(昭和24年)には「日本孔版文化の会」を主宰し、謄写版印刷の進歩と発展に尽力した。草間は謄写印刷の技法開発、機材開発、研究誌の発行、教育・普及活動に尽くし、謄写印刷技術の第一人者といわれた。若山八十氏を「創作派」というのに対して、草間は「複製派」と呼ばれている。

『沿溝書体スタイルブック』(草間京平著、日本孔版文化の会、1952年4月25日)の電子複写物を、山形謄写印刷資料館事務局長の後藤卓也氏(中央印刷社長)のご好意で提供していただきました。
 48ページの小冊子で、謄写版印刷用書体としてのゴシック体、肩付きゴシック体、斜体ゴシック体の三体が併記され、付録として「孔貌雑話」という草間京平のエッセイが掲載されています。
 書写ゴシック体は読売新聞の記者であった福富静児が始祖であると伝えられますが、謄写版印刷において、大正時代に草間京平によって考案された「沿溝書体」によって確立したと考えられます。同人雑誌『新樹』の36ページからはあらたに開発された沿溝書体で書かれています。
 草間京平は「私は甚だ字が拙い」と謙遜していますが、こうしてできあがった書体は金属活字のゴシック体にも勝るとも劣らぬものでした。漢字の隷書に調和するひらがな、カタカナの手本としても、継承したい書体です。


■組み見本

 カタカナも謄写版印刷用のゴシック体を復刻することにしました。ほかの2書体も参考にすることにしました。
 書写ということを強く意識すると、そのままのリアルなタッチまで再現することになりますが、ここでは活字書体としてのフィルターをかけ、全体的なスタイルを統一することにしました。

漢字書体は、
 左:月光
 中:銘石
 右:洛陽

『ざらざら』(川上弘美著、マガジンハウス、2006年)

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

謄写版印刷用のゴシック体を復刻することにしました。全キャラクターが一ページのなかに揃っているのは好都合でした。ほかの2書体も参考にすることにしました。
 「こ」「に」「ら」「ゆ」は全体の文字の中でもふところが大きく、「そ」「て」「ぬ」は逆にふところが狭く感じられました。その文字のイメージをこわさないように注意しながら、ふところの広さを調整しました。
 書写の場合いくつものサンプルがありますので、ひとつにこだわることはありません。ゴシック体の「き」「さ」は書き癖が強くあらわれていたので、肩付きゴシック体を参照にしてつながりのあるスタイルを採用しました。

『パスタマシンの幽霊』(川上弘美著、マガジンハウス、2010年)