●ふでづかい
「まどか」と同じように、「さ」「き」「た」などは、うねりをもった筆遣いになっています。また「は」「ほ」などのむすびにも、うねりがあるように感じます。「あ」「の」「め」なども同様で、比較的ゆったりとした運筆で、正円にちかい「まわし」です。カタカナの「ソ」「ツ」「ン」なども深い曲線を描いています。
●まとめかた
ひらがなもカタカナも、字型差が大きく自然な組み立てを保っています。全体的に動的なイメージがあることもあり、私の分類でいうと「ひのもと・いぶき体」のカテゴリーにはいるものと考えています。
●ならびかた
ベタ組みを基本に設計しています。宋朝体や清朝体(楷書体)との混植を考慮し、やや小さめの字面に設定しました。
東京築地活版製造所
平野富二(1846-1892)は1889年(明治22年)に株式会社東京築地活版製造所社長を辞任し、本木昌造の長男本木小太郎が社長心得になる。しかし本木小太郎は病弱だったので、曲田成(1846-1894)が3代目社長に就任。曲田は長崎で長崎新町活版所で印刷をまなび、長崎活版製造会社で活字鋳造を担当している。曲田のもとで、1893年(明治26年)支配人になったのが野村宗十郎(1857-1925)である。野村は印刷技術の進歩をはかり印刷術の普及に努めた。第4代社長の名村恭蔵(1840-1907)のあとをついで社長に就任、「ポイント制活字」の普及に努めた。
原資料は、日本大学文理学部図書館蔵『長崎地名考』(香月薫平著、安中書店蔵版、1893年)です。閲覧することはできましたが、電子複写も限られた枚数のみとなりました。
和装本で、上巻・下巻・附録の三冊からなっています。上巻は「山川之部」で、最初に「長崎図誌云」と「目録」があります。まず長崎地名の由来が書かれており、山川・巌石・島嶼・原谷・坂路・泉井・洞壑・水磯の四十二条が説明され、漢詩と和歌が多く添えられています。下巻は「旧蹟之部」です。諸役所・旧蹟及祠堂墓所にわけられ、95条にわたって説明されています。諸役所には出島などが、旧蹟及祠堂墓所には切支丹寺などがふくまれています。附録は「物産之部」となっており、螺鈿・眼鏡細工など107条にわたってしるされています。長崎はオランダと中国との貿易の窓口だったため、さまざまな工業製品や技術がみられます。
奥付には、印刷所は東京築地活版製造所、印刷人は曲田成とあります。住所は東京府東京市京橋区築地2丁目17番地とあります。使用されているのは、「築地前期五号かな」とされる和字書体です。
■組み見本
カタカナも、『五号明朝活字書体見本 全』(東京築地活版製造所 1894年)から清音の文字すべてのキャラクターが抽出できましたので、ひらがなと同じように全体的な大きさ、結構などを修整していきました。
漢字書体は、
左:蛍雪
中:金陵
右:龍爪
『つぐもも 6』
(浜田よしかづ著、双葉社・アクションコミックス、2011年)
実際には、活字見本帳からの採取ということにしました。『長崎地名考』とほぼ同じ時期のものということで、『五号明朝活字書体見本 全』(東京築地活版製造所 1894年)の電子複写物をもちいました。
金属活字の場合、清音の文字と濁音の文字が異なったデザインとなることが多くあります。「た」は特徴的であり、一字だけを取りだすと面白いと感じられるかもしれません。ただし文字列の中では違和感があります。そこで「だ」のデザインを採用することにしました。
「ほ」「え」「お」は、『長崎地名考』などを参考にしました。「あ」「わ」も全体のイメージを考えて、現在において違和感のないようにしました。
復刻しているのであって、覆刻をしているわけではありません。「復刻」においては、全体的に太さ、大きさ、姿勢、寄り引きなどを見直すことは当然のことです。これから長く使われつづけるためには必要なことなのです。
『おひさま 上』
(岡田惠和著、藤田陽平ノベライズ、NHK出版、2011年)
『くちなわ坂 とげ抜き万吉捕り物控』
(東郷隆著、光文社、2009年)
■ファミリー展開
『ともしびマーケット』
(朝倉かすみ著、講談社、2009年)