ふでづかい
 もともとは細い筆で書写されたものだと思われますが、活字化にさいして少しアウトラインが単純化されているようです。
 漢字の楷書体のようには「うちこみ」が強くありません。脈略もすこし残っており、「はらい」も下方に向かっているような感じがします。「やまと体(和様体)」との中間書体という位置づけも可能ではないかと思います。

まとめかた
『歩兵制律』の和字は一字一字で完結しており、漢字が楷書体系書体ということもあって、「めばえ体(黎明本様体)」に分類されるものと考えています。
「く」「り」はより縦長に、「つ」「へ」はより横広になっています。「し」が下に引き抜くスタイルとなっていたり、「る」が連綿を意識させるイメージになっていたりということから、「やまと体(和様体)」の影響がおおいに残っているようです。

ならびかた
 活字組み版ではありますが、活字サイズや体裁などは『字音假字用格』や『假字本末』に近いようです。

 

 

大鳥圭介(1832-1911)
幕臣、官僚、外交官。 正二位勲一等男爵。岡山藩の閑谷学校、緒方洪庵の適塾、江川英敏の塾で学ぶ。開成所洋学教授として幕府に用いられ、ついで歩兵指図役頭取に登用される。そのころ江川氏の私塾・縄武館において、独自の活字をもちいた書物を出版している。戊辰戦争では榎本武揚と共に函館五稜郭で抵抗するが降伏。出獄後、新政府に出仕し、工部大学校長、元老院議官などを経て、学習院院長となる。特命全権公使として清国に赴任。清国、朝鮮との外交交渉を担当した。

 原資料は印刷博物館所蔵の『歩兵制律』(陸軍所、元治2年)の電子複写物です。大鳥圭介は、縄武館につとめていたとき、『築城典刑』や『砲科新論』を翻訳して、独自の活字をもちいて出版することに着手しました。独力で鋳造活字をつくり、実際に出版物に使用したのです。
 大鳥圭介は西洋の活字が便利だということを知って、独力で蘭書にもとづいていろいろ研究しました。そして錺屋〔かざりや〕(金属の装飾品を細工する職人)に命じて製造したそうです。
 縄武館および陸軍所の活字版書物のうちで、『歩兵制律』だけが本文に「漢字ひらがな交じり」表記を採用しています。『歩兵制律』は、オランダの書物を開成所の教員であった川本清一が翻訳したものです。序文はほかの書物と同様に「漢字カタカナ交じり」表記ですが、本文「内務制度歩兵守戒軍律」は漢字ひらがな交じり文になっています。
 資料が十分ではありませんでしたが、大鳥圭介が、私の母校の前身である閑谷学校に学んでいたということもあって、どうしてもこの活字書体を再生したかったのです。


■組み見本

 カタカナにいたっては、序文だけなのでさらに少なくて、「ア・キ・サ・ス・セ・テ・ト・ナ・ニ・ノ・ハ・ム・モ・ヲ」の14字種だけです。それ以外の字種は『築城典刑』からサンプリングしました。

漢字書体は、
 左:金陵
 中:陳起
 右:龍爪

『まつるひとびと』
(中島かずき著、双葉社・双葉文庫、2013年)

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

 まず『歩兵制律』から和字のサンプリングをはじめました。もともと入手したページ数が少ない上に、漢文書き下しのような文章でしたので、和字は同じ字種が重ねて使われているという状態でした。
 いわゆる変体仮名や合字の類を除けば、ひらがなでは「あ・か・き・く・け・さ・し・す・せ・て・と・の・ひ・ふ・へ・ま・み・む・め・も・ら・り・る・れ・を」の25字種のみしか抽出できませんでした。
 
ひらがなは、ほかに参考にするものがありませんので、25字種の書風にあわせて、あらたに書き起こすしかありませんでした。やむをえず書風の似ている印刷物などを手がかりとしました。
 サンプルのあったひらがなのうち「も・れ・を」は少し個性的でしたので、現在のなじみのある筆法にあらためました。その他の字種についても、組んでみて気になるところは修整をほどこしていきました。

『はじまりの物語 デザインの視線』
(松田行正著、紀伊国屋書店、2007年)