●筆法
横画、縦画はシンプルで直線に近いように思われます。磔法と躍法では、少し長く引き抜いているようです。『九成宮醴泉銘』にみられる「たわみ」と「鋭さ」から、工芸の文字として少し様式化がすすんでいるようです。
●結法
『南宋羣賢小集』は、主要な横画ではほぼ6度の右肩上がりに統一されています。欧陽詢書風が北宋の浙江刊本から臨安書棚本へと確実に受け継がれて、『南宋羣賢小集』でも、外側の縦画が互いに反りあう背勢になっています。
●章法
『南宋羣賢小集』もプロポーショナルになっています。むしろ窮屈に感じるほど詰まっているようです。これは本文組みとはいえ、個々の文字が比較的大きいので、現在の見出し組みに匹敵するサイズであるためだと思われます。
陳起の陳宅書籍鋪
陳起は、多様な才能の持ち主で、出版者としての業績だけでなく詩や絵などもよくした。
とくに詩の選集を多数刊行したことで知られる。また、陳起は才能に恵まれながらも無名だった民間の詩人たちと親交を結び、その作品が世に広まり伝わることに力を尽した。『南宋羣賢小集』などの編纂・刊行である。『南宋羣賢小集』の羣賢とは大勢の知識人のことである。
原資料は『南宋羣賢小集』(1208年-1264年、陳宅書籍鋪)です。
中国・南宋の首都であった「臨安」とは、金の圧迫で南方に移った宋が、1129年に臨時の都の意味で名づけたもので、現在の杭州市にあたります。宋朝の国力の衰えた時期にも、臨安の街ではまだ活発な商業活動が行われていました。
臨安では、ますます書物の復興や印刷の隆盛をみました。とりわけ唐から北宋にかけての名家による詩文集や文学書の刊行が中心になりました。
南宋の首都であった臨安城中の棚北大街には多くの書坊が建ち並んでいたといわれますが、そのなかでも陳宅書籍鋪が刊行した書物は注目をあびました。これを「臨安書棚本」とよんでいます。
陳宅書籍鋪では、整然として硬質な字様を完成させましたが、この字様によって書写から独立した「工芸の文字」が誕生することになりました。
『南宋羣賢小集』の1ページを、デジタル・タイプによって再現してみることにしました。もっとも大きい文字がおさまるようにボディを仮に設定することは、だいたいどのような書体でも同じ作業になります。
双鉤工程においては、『南宋羣賢小集』の1ページの文字を下敷きにします。ただアウトラインをなぞるのではありませんが、『南宋羣賢小集』においては筆法、結法が比較的鮮明でしたので、さほど悩ましいことではありませんでした。ただ、やはり思い込みということもありますので、頻繁に出力してその影印と見比べました。
つづいて個々の文字の大きさを調整するということになりますが、そこで注意しなければならないのは、使われるサイズで判断しなければならないということです。この活字書体は本文用として考えたので、『南宋羣賢小集』よりもかなり小サイズで使われることを考慮しなければなりません。
そのように考えた場合、『南宋羣賢小集』の1ページの範囲では、視覚的にはさほど大きさに差異はないように思われます。したがって、ここでは『南宋羣賢小集』にあらわれているキャラクターをできるだけ尊重していこうと考えました。
また、細部の処理については、できるだけ『南宋羣賢小集』にあわせることを原則としました。そのうえで日本工業規格と比較して、多くの人が違和感をもつような部分(たとえば野・航・度・擬・過など)については変更することとしました。
もちろん日本語の文章を組むには『南宋羣賢小集』の1ページにあらわれているキャラクターだけではなく、ここにはない多くの字種を揃えていかなければなりません。そこにあるのはわずかなキャラクターしかないのです。
よりオリジナルを尊重するのならば、『南宋羣賢小集』から抽出してできる限りのキャラクターをそろえることがもっともいい方法だと思います。しかしながら、作業効率から考えると1ページにあらわれているキャラクターのイメージを分析して、作字合成法などで揃えていく方法も検討しなければなりません。