第1部 トークセッション

特定非営利活動法人日本タイポグラフィ協会顕彰「第16回佐藤敬之輔賞」を受賞することになり、その表彰式が2017年4月21日に行われた。「佐藤敬之輔賞」は、日本タイポグラフィ協会が2001年にNPO法人となったのを記念し、タイポグラフィの重要性、科学性をアピールすることを目的として設置されたものである。
佐藤敬之輔氏は、タイポグラフィに関する革新的な提言、発言、研究発表、デザイン教育など、多方面に及ぶその活躍によって、当協会の発足時から、協会活動の基盤に多くの影響を与えてきた人だ。この佐藤氏の名前を冠する特色ある顕彰となっている。
筆者が活字書体に興味を持つきっかけとなったのは、高校時代に同人誌の編集をはじめたことである。そして大学時代に活版印刷と写植に出会ってタイポグラフィの基礎を学んだ。その頃、佐藤敬之輔著『日本のタイポグラフィ』(紀伊国屋書店、1972年)を読んでいたなあ……となつかしく思い出した。

2017年9月30日(土)、桑沢デザイン研究所で開催されたイベント「佐藤敬之輔再考—明日のタイポグラフィを考える」を聴講した。150名集まり、大盛況であった。

 

第1部 トークセッション

第1部は浅葉克己氏と小宮山博史氏のトークセッション。一番弟子の浅葉氏と三番弟子の小宮山氏によって、佐藤敬之輔氏の業績や思想、エピソードが楽しくホットに語られた。
『タイポグラフィ01』(日本タイポグラフィ協会、1978年)、『タイポグラフィ02』(1979年)には佐藤敬之輔氏による「新しい本文用明朝体の設計」が掲載されている。月曜会(佐藤氏、桑山弥三郎氏、小塚昌彦氏、森啓氏、吉田佳広氏)で基本構想が練られ、小宮山博史氏も制作に参加されたそうだ。このときの話では、『タイポグラフィ』誌と『佐藤敬之輔記念誌』でテスト版が使われただけで、リョービRM–1000細明朝体としては発売されなかったとのこと。
トークセッションでも話題になった『ひらがな 上』(佐藤敬之輔著、丸善、1964年)、『ひらがな 下』(佐藤敬之輔著、丸善、1965年)『カタカナ』(佐藤敬之輔著、丸善、1966年)は、佐藤敬之輔氏の活字体設計に関する代表的な著作である。文字デザイン、レタリングと表記されているが、内容は主に活字体設計について述べられている。ひらがなとカタカナの歴史を辿り、明治から昭和のさまざまな活字書体を蒐集・分類している。
佐藤敬之輔氏の活字体設計に関する著作としては、『漢字 上』(佐藤敬之輔著、丸善、1973年)、『漢字 下』(佐藤敬之輔著、丸善、1976年)、さらに『新版 英字デザイン』(佐藤敬之輔著、丸善、1969年)も挙げられる。和字書体・漢字書体・欧字書体を、それぞれ別にしてまとめていることに共感する。

 

第2部 シンポジウム

第2部はアートディレクターとタイプフェイスデザイナーによるシンポジウム。
パネラーのプレゼンテーションに時間がとられて、佐藤敬之輔氏についての話がほとんど出なかったのは残念なことであった。
石井茂吉(1963年没)氏は生前、「佐藤君には参るよ! 熱心で熱心で」と、笑いながら話していたそうだ。佐藤敬之輔氏は石井茂吉氏の仕事場をよく訪ねていました。意外とウマが合っていたようだ。
佐藤敬之輔氏が書いた文章として「書体の原点」(『印刷タイムズ』、1974年6月11日、18日号)と「書体の回帰と展開」(『印刷タイムズ』、1974年7月31日号)がある。どちらも佐藤敬之輔記念誌に収録されている。43年前(1974年)に書かれた文章だが、現在のタイプフェイスデザインの方向とタイプフェイスデザイナーの姿勢を問われているように感じる。

『ひらがな 上』を簡単に紹介しておきたい。この本の中に、「平仮名みんちょう体の歴史」という項目がある。佐藤敬之輔氏は、和字書体では「明朝体」ではなく「みんちょう体」と表記していることにも注目したい。

以下、96年間を三つの時期に分けてみんちょう体の発展を抄録する。時期の区分はP45上段の表による。書体の分類はP36–37、P42–43のABCDEFGHIJKLMによる。山岡謹七の論文にある50例を、〔に、れ〕の形で分類すると、書体の系統がよく表現される。

ここでは図版の引用は差し控えるが、時期の項目だけでも、佐藤敬之輔氏が和字書体の分類を試みようとしていたことは理解できるだろう。

第1期 明治3年—38年(1870—1905)書道風模写時代
第2期 明治39年—昭和20年(1906—1945)活字書体の出現時代
第3期 昭和21年— (1946— )ベントン彫刻機の時代

ちなみに筆者による分類案では、佐藤氏による第1期・第2期を「和字オールドスタイル」、第2期・第3期を「和字ニュースタイル」とし、第1期より前の江戸時代を「和字ドーンスタイル」、第3期以降の現代を「和字モダンスタイル」として区別している。

佐藤氏の分類による第3期の説明文の中に、次のような文章がある。

前の時代に十分に書体の構成を修習した彫師が、ベントンの原図を書く。これが最も高い総合と、地道な進歩をたどる。太佐源三、君塚樹石などの、初期と現在の作風の変化をみると、その中に時代がよみとれる。はじめからベントン彫刻機づきでスタートした二瓶義三郎、ミキ・イサム、松橋勝二などを初めとして、若い設計家が育ちつつある。

書体見本の図版には活字書体設計師の名前が明記され、巻末には活字書体設計師の略伝を記述している。これまで出ることのなかった活字書体設計師に焦点が当てられていることは画期的なことである。この資料のほとんどが面談による取材であったという。

つぎに「平仮名ゴシック体の歴史」の項目では、ゴシック体のほかにアンチック体にも触れている。

平仮名のゴシック体が現れる前にアンチック体が出たのではあるまいか。アンチック体は平・片仮名にだけある書体でP82 No.117を見ていただきたい。漢字の角ゴシック体と平仮名のアンチック体を組み合わせた。おそらく当時の人は曲線的な平仮名を角ゴシック体にしてしまう勇気がなかったのであろう。今はアンチック体は幼児読物に使われるくらいのものである。ついでに言うが、昭和35年にテレビ用として石井茂吉の作った〔横太みんちょう体〕は要するに漢字を加えたアンチック体である。

石井横太明朝体を、(漢字を加えた)石井アンチック体とみなすという考え方に賛同する。筆者は、本蘭アンチック体を試作していたことがあり、さらには白澤安竹体を試作している。横太明朝体という奇妙な名称より、アンチック体というのが適切だと思うからである。

 

懇親会

その後に開催された懇親会には、多くの若いデザイナーたちが参加して、盛り上がった。佐藤敬之輔氏の業績は、登壇した人だけではなく、多くの人に継承されていると実感できた集いとなった。

 

 

 

随想録『隧道』
随道

佐藤敬之輔再考

随道随道

第2部 シンポジウム

懇親会