ふでづかい
 最大の特徴は「は」「ほ」「や」「も」などのように、一筆書きのように描かれていることです。とくに「や」「も」は、これほどの脈絡は「ひのもと体」のどの書体にも見られません。「さ」「き」のかえしはつきだすようになっています。「ち」「ら」も同様で、強く折り返しています。これは「まどか」とはまったく逆の描き方になっています。

まとめかた
「あ」「わ」「の」のはらいはまきこんでいませんが、ふところはゆったりしているように見えます。字型差もすこし大きいように思えます。「え」「そ」にみられるように、全体的に動的なイメージがあります。

ならびかた
 ベタ組みを基本に設計しています。宋朝体や清朝体(楷書体)との混植を考慮し、やや小さめの字面に設定しました。

 

 

活版製造所弘道軒
神崎正誼(1837-1891)は鹿児島生まれ、松田禄山(1825-1903)はで京都生まれである。神崎正誼と松田碌山は活字版印刷の流行を見て、1874年(明治7年)に「活版製造所弘道軒」を創立した。新しい活字書体(弘道軒清朝活字)の開発にあたり、その版下の揮毫を、梅村翠山(1840-1906)の縁で「彫刻会社」共同代表者の小室誠一の弟で萩原秋巌門下の小室樵山(1842-1893)に依頼した。小室樵山は俊徳塾を主宰しているが、その高弟として貴族院議員となった高田早苗がいる。

 原資料は『二人比丘尼色懺悔〔ににんびくにいろざんげ〕』(尾崎紅葉著、吉岡書籍店、1889年)です。新著百種の第一作として刊行されたもので、印刷は国文社です。
 小説家・尾崎紅葉(1876-1903)は東京の生まれで、本名を徳太郎、別号を十千万堂〔とちまんどう〕といいます。山田美妙らと硯友社を興し、『我楽多文庫〔がらくたぶんこ〕』を発刊しました。泉鏡花・徳田秋声など多くの門人を世に送り出しています。代表作に『金色夜叉』などがあります。
 もちいられた漢字書体は、活版製造所弘道軒の四号清朝活字の系統のようですが、和字書体はおなじ文字でも複数の種類がみられます。いろいろな活字書体がまざっているのではないかと思われます。
 これもこの時代の状況を表しているものとしてとらえ、『二人比丘尼色懺悔』をベースにしての復刻ということにしました。複数あるものから、どれを選んでどうまとめあげるかということで、書体制作者のセンスが問われるところです。


■組み見本

 カタカナもひらがなと同じ考え方で制作しました。抽出できなかったものは、全体的なイメージに合わせてあらたに描き起こしました。。
「ツ」の脈絡は取りました。また「ウ」の突き抜けは、この書体の特徴として残そうかと思いましたが、いろいろな方の意見を聞いて突き抜けないようにしました。

漢字書体は、
 左:蛍雪
 中:金陵
 右:龍爪

『花や散るらん』
(葉室麟著、文芸春秋・文春文庫、2012年)

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

『二人比丘尼色懺悔』にもちいられた和字書体は、いろいろな活字がまざっているので、この書体のイメージをよくあらわしていると思われる「き」と「さ」にあわせてほかのキャラクターを選んでいきました。
「し」は最初に点をうつようなスタイルになっています。「はやと」では残したほうが書体としてのイメージにあっていると判断しました。
 脈絡を残している書体ですので、「に」や「ゆ」はほかのキャラクターにあわせて脈絡をつけました。「も」も採取しなかった文字を参考にしながら、脈絡をつけることにしました。
 文字の判別性からいえば脈絡線はなくてもいいものですので、できるだけ細くしました。同じように弱くなっていると思われるところでも、線として見えなければいけない場合もあるので気をつけなければなりません。

『心がわり 狸穴あいあい坂』
(諸田玲子著、集英社、2012年)