ふでづかい
浄瑠璃文字ほどはくねくね曲げる筆運びではありません。字間の密着も窮屈というほどではありません。浄瑠璃文字の「軟」に対して、この『偐紫田舎源氏』は「硬」ともいうことができます。孤を描くというのではなく直線をつないでいくような筆運びになっています。

まとめかた
連綿になっていますが、平安時代の流麗な運筆ともことなり、どちらかといえば扁平にみえるようなイメージです。意外にも文字の大きさは比較的そろっています。

ならびかた
あくまで挿絵が主体で、空間をひらがなの文章が埋めるということから、奔放な文字揃えになっています。行間もひろくはありませんが、連綿になっているということもあり、読みやすさは保たれているようです。

柳亭種彦(1783-1842)
江戸後期の戯作者。江戸の人で、本名を高屋知久、通称を彦四郎という。食禄二百俵の旗本だが、はじめ読本を発表、のち合巻に転じた。
 当時は歌舞伎や浄瑠璃に骨組みを借り、これを翻案することは読本・草双紙の常套手段だった。
 種彦は古人を学ぶということを明言し、その作の出所を告白している。古人の作品を盗んで自分のものとして発表するような作家や、古人の糟粕をなめていながら創作として誇示する作家とはことなり、おごりたかぶらない性格だったといわれている。

復刻のベースにしたのは福井市立図書館蔵『偐紫田舎源氏 第三十四編』(仙鶴堂)で、上冊が初音の巻、下冊が胡蝶の巻です。柳亭種彦作、歌川国貞画とともに、ちいさく筆耕柳枝としるされています。
『偐紫田舎源氏』の偐紫とは作者がにせ紫式部だからであり、田舎源氏としたのは、ことばづかいがいなかくさいからだとしています。時代を室町時代の東山期にうつし、平安朝の宮廷のものがたりを室町幕府のできごとにあらためています。主役は光源氏ならぬ光氏です。
 この小説は1829年(文政12年)から1842年(天保13年)まであしかけ14年間かけて38巻だされましたが、この38巻全部がすべて一万部売れたという空前のベストセラーとなりました。
 天保の改革により芝居と草双紙とは風俗をみだす大もとと見なされて厳しく弾圧されましたが、『偐紫田舎源氏』も、ところどころにエロチックな図柄がみうけられ、しかも雰囲気が大奥をしのばせるものがあったため、1842年(天保13年)6月に絶版になりました。


■組み見本

カタカナはまったくありませんので、イメージをあわせて制作するほかありませんでした。

漢字書体は、
 左:聚珍
 中:宝玉
 右:洛陽

準備中

『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。
『字音假字用格』は漢字カタカナ交じり文なので、カタカナはだいたい揃えることができました。「ネ」「ヰ」「マ」がありませんでしたので、書風をつかんだ上で新たに書き起こしました。
 そのほかの文字で大きく形姿を整えたのはありません。全体的に統一感を醸しだすように筆づかいや形姿を整えていきました。

ひらがなのキャラクターを抽出するのには十分なページ数がありました。もっとも「に」や「な」のように特定の変体仮名をもちいているものは、いくらページをめくってもあらわれることはありません。
 挿画のすき間を文章が埋めるというようなレイアウトになっています。そのため文章のつながりをしめすちいさな装飾がつけられています。
 限られたスペースに文章を入れなければならないため、字間はタイトで、正方形に近い形象をしています。直線化の傾向を強め、「あ」や「の」などは菱形に運筆しているようです。
 特徴として残すべきか、癖として取り去るかは悩ましいところですが、文章を組んでみたときに違和感がないことが判断基準となります。